ゼミ「白樺キノコ(チャーガ)入門」(第4回)

「ロシアではチャーガは千年も前から知られていました」


ロシアの民間療法では、チャーガカバノアナタケ)は大昔から内臓腫瘍の薬として知られていました。年代記は、キエフ大公のヴラジーミル・モノマフがチャーガによって唇の腫瘍を治療したことが認められています。歴史辞典によれば、モノマフは11世紀中頃から12世紀前半の人ですから(1053年〜1125年、在位は1113〜25年)、実に、今から880年ほど前のことです。


ロシアの薬用植物に関する書物や薬草による民間療法の手引書には、チャーガによる治療に関しても記載されています。多くの地方で、チャーガの煎汁とチンキは、高価な紅茶に替わる飲み物として使用されていました。そして、それらの地方では、ほかの地域と比べて、胃腸管の病気やがんに苦しむ人々が、極めて少なかったことが指摘されています。チャーガのおかげで、彼らは健康な身体と良好な体調を高齢まで保つことができたのです。


がん患者に対するチャーガの治療効果を解明する試みが医学文献で初めて記述されたのは19世紀になってからでした。1857年から1858年にかけて、F.I.イノゼムツェフがこの民間薬を使ってモスクワ医科大学付属病院に入院していた患者たちに臨床試験をしました。


1858年、ロシアの医師E.フローベンが白樺の”サルノコシカケ”の煎汁を用いて耳下腺がんの重症患者の治療症例を報告していますが、おそらく、それは正にチャーガだったと思われます。1862年には、サンクト=ペテルブルグの医師A.フルーフトが、すでに顎下腺までがんが進行していた下唇がんの患者の治療症例の報告をしました。この際、キノコの濃い煎汁を内服と湿布を、一日3回、数ヶ月間にわたって続けました。臨床記録から判断すると、がん腫瘍とがん性潰瘍が完全消失して治療を終了しています。